フランスアミアン地方の大聖堂。
アンソニーの時代からウーブリエ大聖堂はエンシャントの支配下にあったようだ。彼が棺を開けた僧侶はボーンシーフが体から出たのが死因だった。主に地下の隠された部屋群にエンシャントの影響が強い。この時代の地下への入り口は聖堂の2階の本棚である。なお、この時代にはまだステンドグラスはない。
ポールの時代には新しく広い聖堂が横に建て増しされた。また、新聖堂も旧聖堂もステンドグラスで飾られるようになった。聖遺物「ジュードの手」がある、という触れ込みで巡礼を呼び込み集まった人を生贄にしていた。実際には「ジュードの手」は存在せず、大聖堂にはパイアスによってエンシャントの秘宝の一つが運び込まれている。
この時代、聖遺物は戦争や飢餓や疫病に効果があるとされて、さまざまな偽物も含め見世物として一般的だったようだ。聖人と呼ばれた人が死ぬと、そのひとの体の一部を切り取り聖遺物として祭ることさえ行われた。ジュードの手は聖ジュード、つまり聖ユダ(十二使徒、裏切り者)の遺物というふれこみなのだろう。
地下の部屋群は拡張され、生贄の儀式をおこなう部屋や、グレートガーディアンが秘宝を守るホールが確認されている。教団の人間の寝室がない、十字架などの礼拝設備がない、など教会としては不自然であるようだ。地下への入り口はワイン倉庫の奥の納骨堂に変更されている。
ピーターの時代は野戦病院として使われているが、建物自体に大きい変更はない。地下への入り口は新聖堂の隠し部屋に移っている。
建物は電化され、地下の発電機から電気が供給されている。石炭小屋のセントラルヒーティングによって暖房もなされている。戦場が近いため、砲弾の音がこだまし、建物も揺れている。大聖堂正面のステンドグラスもこの戦争の影響で破壊されることになる。
フランス語、ウーブリエ"Oublie"は忘却を意味する。忘れられた大聖堂…
ウーブリエ大聖堂は実在しないが、アミアンにはユネスコの世界遺産にも指定されたフランス最大の規模を誇るゴシック様式の荘厳なアミアン大聖堂が実在する。Amiens Cathedral Projectでデジタル化された大聖堂を見ることが出来、ウーブリエ大聖堂との類似がわかる。